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千葉県分会

中央大学学員会 白門三九会
千葉県分会報(第25号)

平成二十八年八月三十一日発行

第十五回白門三九会千葉県分会
総会開催

 千葉県分会の第15回定期総会が8月20日、千葉市のJFEみやざき倶楽部で開かれました。出席者は白石紀一・39会会長、鈴木敏之・埼玉県分会会長の来賓を含め17人。
第1部の議事は秋山律・幹事長の司会で始まり、藤原康之・会長の挨拶に続いて会長を議長に選任して議案の審議。第14期活動と会計、さらに第15期運営計画案と会計予算案をそれぞれ担当役員が説明し、全て拍手で承認されました。運営計画は第16回定期総会(平成29年8月)、研修会・忘年会(28年12月)、定例役員会(3カ月に1回)、歩こう会(年2回)ゴルフ会(同)会報発行(同)グルメ会(同)旅行会(同)メール句会(2か月に1回)で前期を踏襲しています。
最後に任期満了に伴う役員改選があり、執行部提案の新役員(別掲)が満場一致で選出され閉会しました。
第2部は講演会。神奈川県分会から紹介された(株)玄米酵素東京支社・管理栄養士の平田寿美男、支社長の黒沢博の両氏が登場。「正しい食事で健康生活」と題してスライドやパンフレットを使い、栄養価の高い玄米を食べやすいように発酵させた自社の補助食品をPRしました。約80分の講演が終わり記念撮影。
第3部は会場を移して懇親会。飲み放題のもと、各自近況報告をし、和やかに談笑。達國明さんが披露した自作の相撲甚句に全員が手拍子で応じ、無事閉幕。2次会のカラオケ大会になだれ込みました。(会報担当・大西邦彰)

新役員
会  長 
幹事長兼副会長
(ゴルフ会担当)
副会長(渉外担当)
々 (会計担当)
々 (グルメ会担当)
副会長(歩こう会担当)
々 (旅行会担当)
々 (会報担当)
会計監事
事務局長

 

就任に当たって  
新会長 秋山 律

 

秋山 律(新)

横山 信義(新)
木村 光男(新)
宮島 武源(新)
春田 省二(再)
吉川 泰裕(再)
藤原 康之(新)
大西 邦彰(再)
河口 友彦(新)
小泉  厚(再)

 

 この度、白門三九会千葉県分会の会長を、藤原康之さんから引き継ぐこととなりました。
ご自分のご病気を押して、いつもアグレッシブに職責を全うしてこられた、藤原さんに賛辞を贈り、これからも会の運営にご助力頂けるようお願いして止みません。
さて、世界を興奮の渦に誘ったリオ五輪が終わりました。日本の選手も好成績を残したことは大変楽しい事でしたが、残念な結果に終わった選手達のこれまでの努力は賞賛されて良いものと思われます。
 それにしても、忘れられないオリンピック選手がいます。それは、馬場馬術の法華津寬さんです。今年は、体調を崩して代表になれませんでしたが、東京大会に初出場してから半世紀以上、日本のトップ騎手として頑張ってきました。昭和16年3月生まれの75才、我々と全く同じ年代です。「より恵まれた環境の中にあって、何不自由なく」と言ってしまえばそれまでですが、世界の一流に伍して一つの道を追求できることは凄い事であり、今回の出場断念は将に残念であったろうと同情します。
 人は皆、年をとり体調管理もままならなくなってきます。多くの五輪選手と比較は出来ませんが、我々も精一杯、これからも頑張って行きたいものと思います。この千葉県分会の集いが、皆さんのよき糧となりますよう精一杯職責を全うできることを念願しております。よろしくお願いします。

歩こう会
 今年前半の歩こう会は上総国の国分寺があった市原市役所周辺の散策。5月14日午前10時、内房線八幡宿駅に集まったのは小泉厚、松本曄、毛内逸雄、吉川泰裕の4人。早速、駅近くの飯香岡八幡宮へ。本殿は国指定の重要文化財で境内には立野信之の文学碑がある。
立野は市内平田の生まれ。戦前はプロレタリア作家としての位を築き、戦後「叛乱」で昭和27に直木賞を受賞した。日本ペンクラブの幹事長を務め、川端康成会長とともに活躍した。
この後、府中日吉神社に向かったが、4人の足並みはばらばら。市役所近くの国分尼寺跡でようやく再集合を果たした。ここには中門と回廊の一部が復元され、史跡資料館(発掘した遺物の保存)がある。

 昼食の後、バスで五井駅に向かった。駅前には「更級日記」の作者、菅原孝標女の像が建っている。この日記は上総国の国府に勤めた父親に付き従い、13歳(1020年)で京に帰国したのをきっかけに書き留めた道中記。この中に中学生ぐらいの娘時分、源氏物語を読んだくだりがあり、古典で締めくくる面白い歩こう会になった。(文中敬称略、歩こう会担当・吉川)

グルメ会
 富津のアナゴを食べようと今回のグルメ会(食事会)は平成28年6月18日(土)午 後、富津市内の江戸前磯料理「大定」(だいさだ)に乗り込みました。JR千葉駅に集合し、 内房線青堀駅下車。送迎バスにて10分ほどで到着です。 藤原会長の挨拶、秋山幹事長のビールでの乾杯で始まり、サザエのつぼ焼きや石カレイ、 平貝、カンパチの刺身が盛られたお造りに箸をすすめると、新鮮でプリプリ、コリコリ。珍 しい「富津産 黒メバルの煮つけ」や本命の「富津産 アナゴの天婦羅」が供されると舌が 大喜び。飲み放題の日本酒、ビール、ワイン、焼酎が五臓六腑に染み渡ると会員相互の会話 も弾み懇親も深まりました。 後半には江戸前アサリの味噌汁付き「焼きアナゴ丼」「フルーツ」をいただき、宮島会計 幹事の一本締めでお開き。アナゴを中心とした江戸前の料理を千葉県側で味わう趣向は参 加者の食感を満足させたと、自負しています。この記事を読んで「行きたい」と奮起された 方は「大定」☎0439-87-2021へ問い合わせてください。次回の開催は会員の意 見を参考に決めたいと思います。 参加者は以下の皆さん(順不同、敬称略)藤原康之、秋山律、木村光男、大西邦彰 河口友彦、沓川義治、松本曄、宮島武源、福田三根生、春田省二(グルメ会担当・副会長春田記)

菜の花句会 句集を上梓
 会を始めて、三十回を記念して念願の句集を上梓することが出来ました。河口さんの推薦による各自十句を編纂された編集力に改めて感謝する次第です。文字が形にされ思い出の句集となりました。(二十八年二月)
二十八年七月、菜の花メール句会(三十四回)
 七月の会員の句を紹介します。兼題は黒南風、睡蓮でした。黑南風は梅雨の雨雲が垂れ暗く陰鬱な空に吹く南風。睡蓮はスイレン科の多年性水草、未草とも、沼や池に白、黄、桃色など花を咲かせる。大方は午後に開く。
さて皆様の句。季語が生かされているでしょうか

黒南風に田畑見回る農夫かな
睡蓮はモネの重みに茎沈む
黒南風に恐る恐ると船を出し
すいれんや古来ナイルの花嫁よ
背伸びして睡蓮を見る美術館
板歩道下を流れて睡蓮に
睡蓮の下を静かに緋鯉かな
黒南風や深川絵図の掠れ文字

松本正二
大西邦彰
河口友彦
吉川泰祐
今井國義
関根 弘
河村博旨
久保田雅久

選句に当って各自三句あげて戴いていますが、今回から私の方から△を選ばせて戴きました。これは一つに「て、に、を、は、」を替える事で句意が変る。また言葉表現を替える事で俳句らしくなり、詩情が生まれる事です。
 例えば河村さんの句
 「梅雨も良し晴も又良し千葉の丘」
があります。実感がありますが今一つピンと
きません。それを下五を替えて見ましょう。
下五を「小鮒釣り」とすれば少しは景が見え
動きも見られます。こんなことで俳句を楽しんでおります。参加者が多くなることを期待しております。久保田 雅久 〇四七―三四六‐三八三二

「菜の花句会集を刊行」

旅行会
 今年は七月十日(日)から、九十九里の「ヴィラそとぼう」に宿泊し、房総の彫刻の名人 「波の伊八」の作品鑑賞を主とした観光とゴルフをセットにした一泊二日の日程を組んだ。 参加者十人は午前十時過ぎ、JR千葉駅近くから宿の送迎車で出発。品行方正の人ばかり なので朝から快晴。途中、大多喜で名物の「十万石最中」を購入しながら、昼過ぎ宿に到着。 和・洋・中のバイキングで腹ごしらえして早速、宿のマイクロバスで「波の伊八」の彫刻 で有名な行元寺へ。立派な朱塗りの山門をくぐり一人四百円の拝観料を払って本堂でこれ また立派なご本尊の阿弥陀如来像とご対面。ガイドが約四十分、解説してくれた。 初代「波の伊八」は現在の鴨川市生まれ。江戸後期に房総南部の寺社仏閣の欄間彫刻に優れた作品を残した。ダイナミックな波の浮彫が独特の作風とされ、波を彫っては天下一と称 された。彼の作風は浮世絵師・葛飾北斎の有名な冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」の波に大き な影響を与えたといわれている。本堂欄間には幻の名工といわれた「高松又八」の日本で唯 一の作品「牡丹に錦鶏」があり、目を引いた。 本堂隣の旧書院欄間に伊八の「波と宝珠」があり、表裏とも迫力ある立体感に魅せられた。 いすみ市には飯綱寺、光福寺、長福寺、部田熊野神社にも伊八の彫刻がある。改めて千葉県 にも誇るべき素晴らしい歴史と文化・芸術作品があることを認識した。 この後、清水寺に向かった。天台宗のお寺で大同二年(807年)に慈覚大師が開基した と伝えられる。千手観世音を本尊とし坂東三十二番札所となっている。本堂内には近隣の人 たちの巡礼の古い記念写真が沢山飾ってあり、住民に慕われていた歴史を感じた。 宿舎に戻り宴会。海の幸をメーンにした料理の中で一尾ずつついたイセエビの刺身にみ な目を奪われた。(エビの頭は翌朝、味噌汁にしてくれて大満足)。八時過ぎまで盛り上がり、 部屋で参院選挙の開票速報をテレビで見てお休み。 参加者(順不同、敬称略)は小泉厚、木村光男、秋山律、大西邦彰、春田省二、吉川泰裕 藤原康之、宮島武源、河口友彦、川島一(旅行担当・川島一)

ゴルフ会
 第27回のゴルフコンペは旅行会の翌11日、いすみ市の大原御宿ゴルフコーで開催しました。宿泊者から4人が帰宅、一人が現地で加わり結局、7人の参加と史上最低の規模とな りました。それでも 7 人の侍は元気一杯。熱中症の警戒警報も意に介さず、名匠・井上誠一設計の難コースに挑み、無事ホールアウト。秋山律氏がグロス 87、H13、ネット 74 で優勝しまし た。同氏は「最近調子が良くて80台を維持。今回も参加者の顔ぶれから私が優勝と確信し ていました」とあいさつ。絶好調ぶりを誇示していました。 次回は12月12日(月)、中山カントリークラブ(八千代市)を予定しています。地の 利もいいので多数の参加を期待しています。位以下の参加者は成績順に次の通り(敬称略)。②宮島武玄G92H14N78③川島一G98H19N79④本多利夫G100H18N82⑤大西邦彰G101H18N83⑥小泉厚G131H40N91⑦藤康之G123H26G97   (大西邦彰代筆)

韓国・・公州への想い  野村京生
 私は公州の地で産声を挙げた。公州はソウルの南約二百㎞にある百済の古都。忠清南道の道庁が置かれていたが、鉄道京釜線の通過に反対したとのことで発展が遅れ、道庁も大田に移されたという。世界遺産となった宋山里古墳群があり、この中の百済第25代武寧王の墓から、多くの副葬品が発見され、国立公州博物館に展示されている。武寧王は、日本の唐津市加唐島で生まれた。この伝承を受け、武寧王生誕祭が2001年から毎年、唐津で開催されている。生誕祭には、公州から数十人の訪問団が来日し、民間交流の場となっている。
終戦後、公州からの引揚者有志が、連絡を取り合って4回集会を開催したという。公州を故郷として懐かしむ人達が多くいたのである。最後の集会の際、公州に縁のある者の団体を結成すべきとの提案が承認され、昭和39年4月1日、公州会が結成された。
 109名の会員で発足し、最大264名まで増加した。特定地域の引揚者の繋がりで、会を設立することは、極めて珍しいのではないか。会の行事としては、会報の発行、総会の開催、公州訪問など。公州側は、最初の間は会員の同級生・知人が対応していたが、次第に世代交代した。社長、団体理事長、大学教授等の土地の有力者達である。滋賀県守山市在住会員の縁で、守山市と公州市が姉妹都市となったという。
 公州会は、引揚者の会の特性のため、会員の高齢化が進み、会員数も減少し続けた。最後の会員数は、45名である。会の解散を考えざるを得ないが、問題は何時にするかである。その担当のお鉢が私に回って来た。理由は一番若いから。解散のポイントは、財産処理である。協議の結果、2016年4月19日に千葉市で開く3回目の総会を解散総会とすることとした。公州に連絡したところ、「公州会は50有余年の歴史がある。解散時に公州に記念碑を建ててはどうか」との提案があった。「記念碑は諸般の事情から賛成出来ない」との回答に「記念植樹は」との再提案。受けることとした。選定した樹木は、高野槙。武寧王の棺に使用され、日本から輸入したといわれているもの。場所は、国立公州博物館。将来の日韓友好のシンボルとなることを願う。

 日韓関係は、改善の兆しが見られるものの、必ずしも良好とはいえない。片方は反日、他方は嫌韓。「遠交近攻」といって、隣国を敵にすることが、政治的手段として有効かもしれない。これでは、両国民にとって不幸ではないか。草の根交流が、政治的桎梏を溶かす一番の有効な方法ではなかろうか。武寧王生誕祭は、参考になろう。来賓として解散総会に出席した公州大学教授は、大賀ハスに興味を示し、公州でも大賀ハスを咲かせたい意向。大賀ハスが千葉と公州を結ぶタネになるかもしれない。大賀ハスの種を持って行って、公州を訪問することと、新たな「公州の会」を創立することの、二つの夢を追うこの頃である。

「ゆうひ」F6号水彩

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